ようやく現在まで回収。
とにかくまとめると、自覚症状としては悪化する中、検査結果だけは良好で、薬はかなり減っていく(特にステロイドは0に)。そんな状況だから、キャリアを進めようとするけど、結局体が追いつかず諦めたところまでです。
非常勤講師でゆるゆる働くと決めたことであとは消化試合のはずの大学4回生25歳。
僕のこの時の心配事は「(この体調不良がメンタルの影響が主で)すぐに体調が良くなったら悔しくて嫌だ」とか「6月の教育実習をやり切れるか不安だ」とかでした。
で、5月くらいに、彼女とも別れました。病気のこととそれに伴う就業リスクは話してはいましたが、特に僕が僕自身の将来像が見えないことからでした。そんな感じになってから何回も話していたので、特に荒れることなく今もたまに連絡を取り合うような別れ方。
幸か不幸か体調はあまり優れないままでした、具体的には体が重い、たまに微熱が出る。それでも採血結果は良いまま。
6月の小学校の教育実習の1週間前からまた38度から39度の発熱。「またか」と半ば諦め半ば安堵で寝て過ごしていたら、前日に解熱。
教育実習なんとかやり切れました。毎週末には39度の発熱。フラフラになりながらも、ほとんどの時間座らせてもらえていたので(高校の時と違って、配慮のお願いを申請していました)、最後まで過ごすことができました。
ただ、実習の最後の数日は、帰る前に夕方には発熱。喉がめっちゃ痛くて、唾を飲むのも痛いレベルに。実習終わって1日2日後から、それはどんどん激しさを増しました。
そこから、塾のバイトは週4時間程度、ゼミも週1〜2時間しかない状況でも体調が改善せず、ほぼ毎週のように通院していました。
レントゲンとってもPCRしても何も出ず。採血の結果は炎症の値だけは確かに上がっているが「ただの風邪」という診断。
このときには、朝から微熱があって、夜には38度から39度の発熱。喉がめっちゃ痛い。本当にしんどかったです。
それで、Xデーが来てしまいました。また通院の日。その日の朝は久しぶりの平熱でした。「発熱続いてました、今日はマシだけど」と伝えると、また『念の為』の検査一通りをされました。異常がないことを確認できたあとは抗生剤の点滴をしてもらって夕方ごろに帰宅。
日中「これだけ、活動したらまた夜熱が出るんだろうな」と思いながら、気を張ってたのか、なんとか帰るまでは大丈夫でした
そこから地獄。
すぐに38度まで上がりました。15時。
解熱剤を飲んで、方々に連絡をしていたら、18時に、38度後半。それまで効いていた解熱剤が効かない。。。?
晩御飯を入る分だけはねじ込んで、それでも頭痛と吐き気が辛い。20時に39度台へ、もう一度解熱剤を飲む。水分も家族に取らせてもらうくらい体がきつい。少し動くだけで息があがる
24時に40度に。もう全く動けない。動く気力がないのと、動く体力が残ってない感覚がある。動かそうにも、ちょっと動こうとするだけで息が切れてしまう。というか呼吸しているのが大変。
本当に、本当にしんどかった。「ここが5階くらいならいっそ飛び降りようか、とにかく楽になりたい」そんな考えが浮かんだ直後「いや、こんな風に悩むくらいなら救急車呼ぶ方が迷惑かからんわ」と思い直して、救急車を呼びました…。
主治医のいる病院に搬送されました。一通りの検査を『念の為』とか言ってもう一回やって、何も見つからず。
解熱剤の点滴をされると38度後半まで解熱、かなり体が楽になりました。「あー、こんなことなら、家にいたままでもよかったのかもな」と若干反省していたら、『免疫抑制剤を多く服用されてますし、精密検査のためと隔離のために入院された方がいいと思うのですが、よろしいですか』と言われてすがるように入院。
5日間の短い入院生活でした、人生2回目。1回目の入院の時のことがさまざまフラッシュバックしながら、ゴロゴロ過ごして精神的にはある意味楽だったかな、「やっぱりこうなったな」って。
バイトも学校も全部休む連絡をして社会から完全に離されて。
結局何もわからず。『気管支炎』という診断だけされて、毎日抗生剤の点滴をされました。入院中の他の症状は喉の痛みと、頭痛、ずっと続く微熱。
結局微熱が残ったまま、退院(入院する積極的理由もないと言われたので、帰りたいと言いました)。
体感は、2020年くらい?寝てたら元気だけど、動き出すとやっぱしんどいという感じ?
突然ですが長くなったので切ります。