SLEのゆくさき

2018年1月末よりマイコプラズマ肺炎の疑いで入院後、ループス腎炎と診断。3月末SLEと診断されました。1年休学後復学したのち退学。2021年再受験し2024年2月現在大学3年生の24歳。不定期に更新しています。

再燃:奥深くから思考を支配し続けるもの

こんばんは

今日のブログ、映画のタイトルみたいですよね。後半部分は「〜◯◯◯〜」みたいにしようかとも考えたのですが、あまりに"痛い"のでやめました。

あとですね、ファンを裏切るようで申し訳ないですが、この時間投稿します。1日に数回ブログをチェックして僕の記事が上がってないか神経を張っててくださいね。


まだ勉強を始めていません。机の上、パソコンの奥には2年前の参考書がきっちり並べられてるのに、ジムに行って鍛えるより楽なはずなのに全くできていません。

普通に嬉しいジムの話

標準体重超えてました

ジムといえば最近ジムに通いだしてから1ヶ月が経ちまして、数日前に両手に金属の棒握らされる体組成計のでかい版みたいなの乗りました。もう1ヶ月後にもある無料のカウンセリングの1つだったんですけど、体重が1.8kg(!)増えていて、筋肉量が2.1kg(!!!)増えてましたw

体重は増えてるけど脂肪は少し落ちてるので、体脂肪率がぐんと下がっていて、アスリート指数(?)と言う謎の数値がほぼ垂直に上がってましたw
お腹が気になるのが変わらないんです、、と言うと有酸素運動を30~40分じんわり汗をかくくらいまでやったほうがいいですとのこと。

いつもエアロバイクと走り&歩きを10分ずつやってたのですが、「歩くよりダンス5分とかの方がいいと思います」ってダンスどこから出て来てんって思いましたけど、とにかく脂肪を燃焼させる運動を取り入れるとお腹も引っ込んで来るんじゃないかと言うことでした。

初のスタジオレッスン

それで今日初めてスタジオレッスン行って来たんですよね。初心者限定のボディコンバットって言うやつに。
定員より2〜3人少ないくらいの人で、受講者は全員女性もといおばさま。気まずいな〜と思いながら始まると結構激しくて、教えてるスタッフさんムキムキのノリノリで、アドレナリン出ちゃってる感じの声。イメージ的にはビリーズブートキャンプ的な。

結局それがお昼にあって夕方まで家でへばってました。初心者用は45分なんですが、通常のレッスンは60分なんですよね。しばらく無理や。

でもこれからコンディションがめちゃくちゃいい時には長めにバイク漕いでみたり、レッスン参加してみたりしようかなと思います

父の入院

急なんですけど先日父が入院しまして、3年前くらいに心筋梗塞で入院して、今は日帰り旅行に行くくらい元気なんですけど、それ以来って感じです。今回は心臓ではなかったみたいです。

当日はかなりへばってて苦しそうだったんですが、原因がわかって手術もして今日はまだ元気そうでした、よう喋ってたし。

それが家から車で30〜40分くらいの病院で、数日僕の運転で行ってるんですけど、この前免許とってから1年経ちました!気持ち的にもからだ的にも苦労してとった時からもう1年か〜って感じなのですが

未だに自宅車庫苦手です。

初心者マークをつけるべき最後の日、家に帰って来たら1枚無くなってて、卒業式の日に一斉に散る桜というか、降る時を知るなごり雪というか、1年間僕と一緒にいた若葉マークは僕に似て物分かりが良かったんだなとしみじみ思いました。ふざけすぎた季節の後で今僕も大人になったでしょうか、教官。

とある二文字

現在進行形でふざけたこと書いてるやんけ!というご指摘は受け流すとして、父のお見舞いで触れたナースコールの音楽とか総室のカーテンの感じとかで入院してた時のこと色々思い出すことになったんですよ。

なんで普通にジム行けて勉強全くしないんやろう(単純な疑問として)とか考えながら、発症した時を思い出して泣いてたら当たり前のことが1個浮かんで来て、再燃が怖いっていう気持ちが深層から僕を支えてるんだとわかったんです。

再燃という運命

1つ前の記事でも「怖い」って書いてたけど、失敗がとか誰かの批判が、とかよりも『再燃が』なんだと思います。

人生の裏側とか自分の背後には常に再燃が存在していて、悲壮感とか絶望感が迫って来るときは、その存在を色濃く感じるときです。

「一縷」という曲の歌い出しに"運命はどこからともなくやって来てこの頬かすめる 触れられたら最後抗うことさえできないと知りながら"とあります。

本当にかすめる程度の、見つめられるくらいのあっけなさ・切なさで色んなものが崩壊して行く恐怖。そんな儚い土台にも人生的な努力・希望を積み上げていかないといかない虚しさ・やるせなさ。

そうしたものが日々色んな場面で胸に押し寄せて来て怖くなる、迫って来て泣く、つぶれる。

そんなことの大元は再燃の存在だと僕は確信し始めています。

どう生きるか

これをどう乗り越えよう、乗り越えなくともどう付き合っていこう

なんとかこの問いに対する答えを見つけたい。

こうしたとき、つくづく感じる科学の狭さ。答えられないんだから。


まずは再燃の恐怖との戦い方を身につける、それを大きなテーマにして腰を据えてやっていきます。

エンディングのコーナー

エンディングですけども、今回僕の中ではまとまった一つのテーマで書いたつもりでいて、色々思い巡らせてたことが言語化できた気がしてます。

不謹慎かもしれませんが、事故とか災害とか防ぎようがない危険って誰にでもあるはずで不安になったことが1度はあるとは思うんですが、そうしたことは全部「非日常」で、普段あまり考えずに生活できる。「考えても仕方ないこと」として視野の外に出してしまって目の前のことに集中できると思うんです。

それが自分の体調で折に触れて、非日常を直に感じる恐怖があって、明日にでも来るかもしれないんだという「生感」がよりそれを大きくしています。


こうしたことを書きながら、涙は完全に乾いてみかんを頬張っているんですけども、なんというかこれがまた滑稽なんですわな。

なんとかしないと、、と思いながらポケモンGOをしゲームして、またあるときは人生を悲観した後で元気にジムに行きYouTubeを見て笑うという、馬鹿さ加減がなんとも言えないです。



明日のこと考えられないな。明後日はメガネ受け取りに行くけど、明日はやることがないな。




この辺で終わります、ありがとうございました。