あーあ、人生つまんねえな
自分はお金もらってやることは全部プロとしての責任があると思ってたけど、上長に言ったら「その気持ちで働いてくれるのはありがたい」やって。
そら資格も何もないけどさ、プロとして見做されてないから報われない感じがするんやろな。俺の4年間なんやったん?
俺の「友人」の絶対条件が自分の話・状況を理解してる/覚えてくれてる人。全部覚えてなくていいけど、病気やから急に熱が出ることがあるとか、退学して再受験してるから年齢と学年が一致してないとか…。
この前、あれ?もう就職やんな?とか言われて相当ショックやった笑 これも3年くらい心の支えになってくれてた人やったのにな…俺なんかしたかな。それまではちゃんと理解してくれてる感じやったのに。
「死なないで」って言われたいし思われたい。3年前に見たパシフィックリムのラストシーンが忘れられない。パシフィック・はむ - SLEのゆくさきこの前、約ネバでも「(死にたいという)その気持ちだけは尊重できない」ってセリフがあって、俺の求めてるものやって思っちゃった。
俺の存在価値やと思って必死で受験指導してきたけど、所詮俺は代えが効く存在。カッコつけて書くけど自分が一番熱意あるし一番上手く教えられる。それでも別に他の人が教えたって受かる子は受かるやろうし俺がいなくても変わらない。(仮に俺じゃないと受からなかった子がいたとしてもお互い気付かないし、そういう種類の感謝もされえない)
歳をとるのは深みが出ることだとブラピを見て思う
自虐風自慢ばっかりが続くけど、「賢い」とか「凄い」とか言われ慣れた。結果・数値に対しての賞賛。それはもう自分から離れたところにあって、ほとんど嬉しくない。過程を認められたいし褒められたい、自分という存在だけで人を幸せに、笑顔にしたい(行動によってなどではなく)
そう、失敗を強く恐れてる。だから再受験でも自宅から一番近い余裕な大学を選んだ。受験に落ちること、体調が悪化してまた通えなくなることは失敗。人付き合いも最小限に、関わり方も一番浅く。嫌われることが失敗
落ちるところまで落ちたって表向きは思ってても、心の奥底では「もう失敗できない」って気持ちがあるんやな。
だって失敗したら自分じゃないから。誰も認めてくれないから、その存在さえも。
親からの愛を感じてないわけじゃない。それでも入院中も受験日程のこと、休学中も復学のこと、退学してからも再受験のことをずっと言われてた。親は「生きてくれてたらいい」と口では言ってたけど、本心がどっちにあるかわからなかった。今でもわからない。
そう、「生きていてくれたらそれでいい」
俺が他人に対してたまに持てるこの気持ちを、他の人にも俺に対して持ってほしいだけ。
でも俺のそれはかなり深い(世間的には重い、と表現するらしい)。なぜならそれ以外何も望まないし、そのためにそれ以外の全てを保障するから。
精神薬を投与され始めてから泣けなくなったが、たまに涙が出るときがある(自分のことでは泣けない)。
昨日「バケモノの子」という映画を見て開始30分〜1時間30分の間ボロボロ泣いた。(余談だが、ラスト30分は蛇足やと俺は思う)
一番泣いたのは、九太が卵かけご飯をえずきながら食べるシーン。美しすぎる信頼・忠誠、ああ俺はそんなものが欲しかったのか…?
だらだら書いて何かが見えたような何も見えないような。
って言ってる以上はなんにも見えてない、下手な考え休むに似たり、ですな。ほんとおバカ。
PS
文中の「なけない」を「泣かない」に変換してくるiOSがウザすぎる。お前ら勝ち組の考え方が詰まってるわ。泣かせたろか笑
心込めて