ここ1ヶ月、仕事(バイト)でストレスしか感じない。いや、喜べる瞬間はあったはずやけど。
曲がりなりにもプライドがあった。好きでやってることやから、と言いながら努力を認めて貰いたかった。でも結局「プロじゃない」。じゃあ俺ってなんなんや?
そういう腐った教室だから、自分の元生徒(今年から新大学一年生、この教室でのバイトを検討していた)にやめとけって言った。君が得られるものと苦しむ時間・量が全く釣り合わないって。
俺以外の全員は「ぜひ働いてほしい」。いや俺も運営側に立てば誘うべき、卒業したバイトが多いから埋めるために。
でも、その子の特性や資質を知りながら本気で誘ってる奴の気がしれない。お前ら、いままでどういうつもりでやってきたんや?煉獄さんは「心を燃やせ」、俺は命を燃やしてきた
そこまでしろとは言ってない、ただ、子供たちの未来を、保護者のお金と気持ちを軽んじすぎてる。子供を目の前にしながら、たいした才能もない自分をなぜそこまで大切にできる?(ブーメラン)
やるなら最後までやりきれ、こちらが諦めたら子供が谷底に落ちるだけ。落ちたことのない人間は、他人が落ちていくことに傷つかない、いや気づかない。
件の生徒は私立を2大学受験していた(本当の第一志望は国公立大、しかし共テの得点的にほぼ不可能だった)
第一志望をA大学(合格可能性30%)、第二志望をB大学(合格可能性90%)とする。私の担当は数学(その子は数学と国語の授業を取ってくれていた)。数学を入試で使うのはB大学だけだった。入試はA→Bの順、日程の関係で最後の授業はA大学の入試日前日だった。
私は悩んだ。数学担当としてBに専念し合格可能性を100%まだ引き上げて全落ちの線を無くす(これで国公立に集中できる)か、Aのために特別に英語を指導する(個別指導のため融通が効く。自慢であるが私は日本の大学ならどこのでも受験英語をも指導可能である)かを。
私の決断は「両方」だった。その日は英語に集中しAに備える。その後授業のない日にBのための数学を指導することである(当然給与は出ない)
そう言えばオーシャンズ11は、金と元妻どちらを盗むかで「両方」って話やったっけ?
このドレスシャツがほしいけど、画像検索しても良さそうなのが出てこない。俺が王様なら家来に仕立てさせるのかな?
Aの入試日は全部で5日間あった(改めて私立大学の偏差値とはなんなのか。まあ受験生の不安をカネに変えるという点では塾と同じ穴の狢である)が、その特別指導の翌日のみ合格していたという。(前日の授業でやった単語や文法が出題されたと喜んでいた)電話口では、生徒とその母親に泣いて感謝された。
私も共に喜び電話を切った後、とてつもない恐怖が心を支配してゆくのを感じた。私はあの日、合否(それは時に人生の成否を意味する)の分岐器を握りしめていたのではないかと。これは私の驕り、自意識過剰かもしれない。しかし間違いなく特別指導が有効打であったことに変わりはないだろう。
追記:実はこの話には続きがある、というか色々収斂してくる、お楽しみに(書かないかも)
だから、指導者諸君(誰に向けて書いてんねん)、「最後まで諦めるな」少なくともお前自身は。
そして繰り返す。これで私は「プロではない」らしい。
最悪の仕事、最悪の人間関係、最悪の身体、最悪の精神、最低な趣味、最低な世間、最低な大人たち…
このブログに書かれるのは、こんな"最高"の世界に生まれた男の最悪の人生だ。
心込めて