SLEのゆくさき

2018年1月末よりマイコプラズマ肺炎の疑いで入院後、ループス腎炎と診断。3月末SLEと診断されました。1年休学後復学したのち退学。2021年再受験し2024年2月現在大学3年生の24歳。不定期に更新しています。

逃げたものに明日はない

突然ですが、タイトルは東進ハイスクール英語科渡辺先生の言葉です。(今は移籍されてるかもしれません。ちなみに僕は東進衛星予備校に通っていました。1年半合計で100万ちょっと使いました。

 

この言葉をかなり信じてやって来ました。

裏を返せば挑戦さえすればある程度許されるということ。合否ばかりが不安な受験戦士の心の支えとなっていました。

 

が、私は受験することすらできなかったのです。はっきりとここに記します。私はあの日逃げたと思うのです。

腎生検(背中から針をぶっさす)が2/二十何某日(特定怖いのでぼかします)試験日が2/25・26でした。試験日には病棟内歩行まで許されていた気がします。(腎生検後安静が必要でしたが)行くだけなら行けてました。それは確実です。

1ヶ月以上勉強していなかったこと、試験前1〜2週間ほぼ寝たきりだったことから合格の可能性がないと思い受験しませんでした。病名の診断もつかず、とは言ってもステロイド治療は開始されており、外出による悪化や感染も考えられたという理由もあります。

 

いや、本当の理由は自己防衛でした。

体がボロボロなのは自覚がありました。そんな中僕は心だけでも守ろうとしました。試験場に行けば確実に「できない自分」と向き合うことになるし、不合格が決定すればその2日後がラストチャンスの後期試験です。心が持たないと思いました。

そこまでして守った心に何の価値があったでしょうか。完全にあの日僕は逃げたのです。

 

3月に入り主治医と話したとき泣いてしまいました。僕が受験はもうトラウマだから浪人なんてできないと言ったその時彼は「浪人してる人なんかいっぱいいる。僕もみんなもセンター試験は辛かった。1年の遅れなんて大したことじゃない」とか言いました。

違うのです。そういう話をしていない。僕は10代が持つべき精神を失ったのです。

何かを欲しいと望む時、たとえそれが茨の中にあろうと傷を厭わず手を伸ばし掴もうとする精神。失敗を恐れず迷いなく前進する生きた心。

失敗なんてないとすら思っている危険なほどの前傾姿勢は10代特有の可能性の象徴です。

手を伸ばせば求めるものを遠くに弾いてしまい、望めば望むだけ裏切られ傷つくことを知った僕にはそれがない。健康と並ぶ一番重要な財産の一つだったはずです。

 

今後僕は何かに向けて努力できないでしょう。それが突然、いたずらに台無しにされた経験を持つから。それを理解してもらえなかったから。

これは言い訳でしょうか?怠慢でしょうか?

 

 

少なからず言えることは、逃げた僕にも明日は来てしまいました。逃げた日から1ヶ月以上たった今も生きてます。

 

この心のままでは前に進めないから、と思ってした進学準備は結局体が動かず無駄になったものが多くあります。はいまた同じ。

動くといっぱい無駄にします。

 

しかし、この勝者の理論は健常人の成長にとっては著しく効果のあるものと断言します。

 

必要犠牲からの言葉は以上です。