SLEのゆくさき

2018年1月末よりマイコプラズマ肺炎の疑いで入院後、ループス腎炎と診断。3月末SLEと診断されました。1年休学後復学したのち退学。2021年再受験し2024年2月現在大学3年生の24歳。不定期に更新しています。

成人式行ってきました

こんばんは、同窓会は行ってないので普通に家におりやす。

年明け久しぶりにジムに行ってからいい感じで体動かせていて「筋肉が喜んでるな」なんて考えている今日この頃でございやす。

結果的に行ってよかったです

そう思う理由について書こうと思います

1.市長の話

2つ伝えたいことがあります、と前置きしてから2つ目で「人生に無駄はない」とお話しされました。

市長ご本人が、とある委員の会長になって頑張っていこうという時に、ガンが見つかった。親不孝だなと思いながらお父様に話すと「100の聖人に話を聞くより、1つの病気と向き合う方が学ぶことが多い。いい勉強になるな」と言われ、目の前が真っ暗だったのが励まされた。入院中自分自身の苦しみや、同じ部屋の患者さんの死から感じたことが今の人生にも行きている、ということでした。

僕はいくら勉強になっても経験しなくて済むことはしなくていいと思ってるし、「病気になって人の温かみを知った」とか「感謝の気持ちを持てるようになった」とか、決してそういうつもりじゃなくても「病気になったけどそれはよかった」的なまとめ方が大嫌いです。

でも僕は病気にならずに普通に就職して出世してたとしたら、死ぬ気でやれば何でもできると思っていたので、部下を過労死させてたんじゃないかと思う時があります。病気になってよかった、とは言いたくない、言えないけども、確固たるアイデンティティーになっていることは事実で、切っても切れない関係である以上これから僕に起こる良いことも病気が遠因になるのかなと思ってきました。

またその話の中で、迷ったら困難な道を選べ、簡単な方を選んで失敗すれば「後悔」になるが、困難な方を選んで失敗した時それは「教訓」になる、と仰っていました。それらが暮らし方の美学、生き方の哲学となって支えてくれるということでした。良い言葉だけどちょっと無責任かな。

その後の、自分を信じて進んで行ってください、という言葉で思い出しました、自分が病気になって一番できなくなったのは自信を持つことだと。どれだけ頑張っても積み重ねても、大事なところで病気になれば終わってしまうことを目の当たりにした。再燃する可能性がある中で「次は大丈夫。」と思うことが中々できないまま2年経ってしまいました。

自信の根拠を求めてずっと彷徨ってます。主治医が変わったから大丈夫?薬は順調に減ってるから大丈夫?病気があることがわかった上で気をつけてるから大丈夫?どれも不安が残ります。

2.入院中思っていたこと

今日帰ってから思い出したことです。

僕は入院してたので高校の卒業式に出られませんでした。パルスが終わって24時間の栄養の点滴が外れた日でした、担任の先生と副校長が病室にいらしてくださって卒業証書をもらいました。
病室で熱も下がらない、息がほとんどできない、肺が痛い、っていう中で「成人式まで生きてるかな」って考えていました。
大学の入学式も行けず休学しました。もう自分は式典というものに出られないのかなって本気で思ってました

でもそれが今日行けた。「だるいな」って思いながらも全然しんどくならず座ってられた。めちゃくちゃ混んでる通路をだらだら歩かされても平気だった。ちょっと流れが変わった感じがしました。
そういう点で今日の出来事は大きな意味を持つんじゃないかなって勝手に思ってます。今日から大丈夫。

3.同世代が普通に子供

お前もな、って言われちゃうかもしれないんですけども、みんな子供。幼い。
周り知らない人ばっかだったんですが、式の最中そわそわしたり喋ったり、どっか行ったり「みんなこんなもんなんや」って安心しました。同世代とどんどん距離を離されてるって考えて悲しくなることが多々あるけど、精神的な意味では全然遅れてないし、むしろ僕は他の人より自分が知ってること、知らないことをちゃんと識別できてるなって(何様)思います。

でも行かないほうがよかったかなと思った瞬間もありました


式の中で「将来の目標・夢」という言葉を聞くたびに考えました

目標・夢に向かって努力してる人間がそんなに偉いのか?って思います。持ってたら「良いね、頑張れ」ってなるけど、持ってない人に対して(実現可能な)夢を見つけるための協力は誰もしてくれません。これって病気とか以前に生まれてから今までずっとそうです。
あと、今年ずっと言うと思うけど、夢へのレールに乗れてるのは運がいい人間。


それでも、「やっぱ普通の人たちとはもう価値観が合わないんだ」って再認識できたのでよかったのかな。

やっぱり、大丈夫

最近将来のこと考えるとき、1回自分を殺してます。死んだ後でどこどこ行ってみたいなとか、こういうことしたいな、とかこんなふうに生きたいなとか考えてます。今と、理想の未来とがかけ離れてすぎてて処理が追いつかないから仕方ないです。ここには書かないようにします、後から振り返ってしまうから。誰にも言いません、自分の中でずっとうねり続けると思います。



さっき自信が持てなくなったって言ったけど、別の形では持てるかな。僕にとっての自信は、自分で自分を励ますこと、慰めること、労わること。それならできる、今日からやろう。自分は常に自分と一緒にいる、だから一人じゃない。手を繋ぐのも自分とならできる(キモい)自分には自分がいる。

終わりがある苦しみだから、そこまでとにかく待つ。大丈夫、大丈夫。