(この記事は予約投稿です。)
最近、うちの塾で社会人5〜6年目の人を呼んで、就活とか社会の話をしてもらう(?)座談会をやってる。自由参加やしお金は出ない。
俺は1回も行ってない。まず時間が合わないし、それより教務力向上の催しをやってほしいし、何よりそれを聞いてもほとんど自分の人生に活かせない。
一個前の記事とも繋がるけど、結局「運がいいだけやん」
こういうキャリアプランで、そのために学生時代こんなことをして一旦こういう会社に入ってスキルをつけて…
はいはい、で?病気しなかったんでしょ?家族の介護とか身内が借金したりとかなかったんでしょ?交通事故にも遭わなかったんでしょ。運がいいだけやん、イキんな。
それを角が立たないように伝えたら「そんなん、もう誰の話も聞けへんやん、間違ってるわ」って言われた。いったん正誤はおいといて、「そうですよ?聞けませんし聞きませんよ?」もう一つ、「仮に間違ってるとして何が悪いんですか?」
次に来たのは「じゃあ同じように病気した人の話やったら聞きにきたいと思う?」はい、アホ。
同じように病気・事故とかの不幸があった人なんてこの世に存在しないから。みんな条件が違うから例えば「がんになったけど治って再発もせず元気に働いてる人いるよ」って言われて「あなたは ね」でしょ?
あと、俺が思うのはそういうエピソードって他の患者さん苦しめてる部分あるよ。追い詰めてる。特に家族とか周りのやつ、そんな話してたらぶっ飛ばしたるからな(僕の記事見て元気そうやなと思うまではいいけど、「SLEでも再受験で頑張ってる人いるよ」とか言うなよ?)
(患者当人が元気や勇気をもらうことは大いに結構ですよ!)
特殊な(ここではレアケースって意味じゃなくて具体例って意味です)例を出されて話されても「そうなんですね、よかったですね」でしょ?
I LOVE YOU!!!
で、俺思ったわけ。これ地震のない国とある国、砂漠の街(に住んでても〜♪ってホントいい曲ですよね)と大きな川が流れる町の住人で議論してるようなもん。
前者の地震を「病気」に置き換えてみてほしい。
家は基礎部分はこうして、間取りはこうして、こんなふうに柱を組んで、屋根をつけるんです。で、後々二世帯住宅にすることも考えて〜
「地震来たらどうすんの?」
あ、えっと…。
瓦落ちますよ?窓割れますよ?なんなら家崩れますよ
大丈夫です、うちは耐震構造で作ってます!
これ、一番愚かな答えです。だって震度9(そんなものないけど)で実験しましたか??もしくは、あなたの国で起こりうる地震の規模でしかやってないでしょ?こっちは普通に震度5・6バンバン来ますよ?
真の絶望って、我々が予知できない規模とタイミングと速度で迫ってくるんですよ?笑
議論を円滑に進めるために、考慮する領域を狭めることは大いに結構。ただ、「これが正解だ、最高だ、君たちもこうしろ」って【人生】に関して話に来るのは馬鹿すぎないかね?(しかも20代の輩が。)
きっしょって思ってるわ。ジジイ呼んでこい。
まあでも、そんなふうに自己肯定感高い方が絶対生きてて楽しいやろな。私のライフプランニングを見習って〜って笑 やっぱキモいわ
と、地震のある国からのレポートでした
KEEP giving up, bro.