こんばんは
来年の4月から、アルバイト講師のまとめ役をやることになりました。こう書くと「お、ゆけはむもそれなりに偉くなったんだな」とか思われそうですが、実際全然そんなことありません。僕が塾入って4ヶ月目くらいの時にも打診されたくらいですから、要は雑用です。電話番とか…。
歴が長い&来年2回生で使いやすい存在になっているみたいです。
それで、毎週水曜日に塾長とのミーティングがあります。僕水曜日には9時から16時までフルで授業入ってて、塾も17時から22時まで働いてるんですよ。その後にあるし、さらに木曜の1・2限は両方小テストがあって、寝られてません
てか、病気してから9時間寝ても寝足りない体になってるんですよ。だから土日は泥のように眠っています。
うちで飼ってるバカ猫。肖像権って猫にはないの?
出だしの(どうでもいい)話が長くなってしまいました。本題はここから
この間、ある学校での人権教育の様子を映像で見ました。対象生徒は中3。題材は、最後の部活動を終えた日。
子供たちは授業の最後に涙ながらに自分の思いをみんなの前で語ります。「自分は引退試合の時にこうだった」「自分は途中で退部してしまった」「自分は最後まで続けたけど1年生の時は身が入らなかったことを後悔している」
僕は彼らが自分自身に「自分はどうだったか、どう感じた(る)か」を徹底的に問い尽くして、自分自身と向き合っている姿に心揺さぶられました。
特に部活辞めちゃったことに対する嘘のない後悔の気持ちを、クラスのみんなの前で発表できる…その精神性が胸に刺さりました
僕自身にはここまでできない、いや、できなくなった。
精神科の薬を飲み始めてから感じることは、心の空間に柵で覆われた部分ができたこと。
ある方向に向かって(例えば「しんどい」とか「くるしい」とか「死にたい」とか、過去の辛いこととかに)進もうとすると、沼に足を取られて進みにくくなるみたいに、思考が鈍る
そのおかげ(そのせい)で泣くこともないし、極端に落ち込むこともない。
『でも、本気で笑うことも少ない』的な笑
((格好つけて書くと))、その柵の内側には、きっと自分にとって大切な物も沢山ある(あった、のかもしれない)
憧れの気持ちとか、そこからくる劣等感。希望の糧になる種類の絶望。昔から好きだった物、純粋な感情(感情の原色)。それらは希死念慮のベールに包まれながらも、まさに心の拠り所としてふかふかのソファの形を作っているのだと思う。
自分はもう自分ではなくなった。
それは病気になったからだと思っていたけど、病気になってから、少しずつ自分の心がそうさせているのだと思う。
このブログの更新頻度が極端に減ったのもそれが原因です。何を書いていても、自分の本当の言葉ではない、一般論とかお世辞にしかならないんです。
死んで、この必死にしがみついてる斜面(あるいは崖)から手を離してゆっくりしたい。
学校行ってるからとかバイトしてるからとかではなく、とにかく生を手放したい。
日本は(というか人類全体は)、その斜面に剣がいっぱい生えているような、"耐え難い苦痛"でない限り死ぬことを許さないようです。
不治の病が存在することよりも、"耐え難い苦痛"を耐えて(?)必死に生きている(生きることを強いられている)人が大勢いる、それこそが真の絶望のような気がします。
心込めて