SLEのゆくさき

2018年1月末よりマイコプラズマ肺炎の疑いで入院後、ループス腎炎と診断。3月末SLEと診断されました。1年休学後復学したのち退学。2021年再受験し2024年2月現在大学3年生の24歳。不定期に更新しています。

財布落としました/件の生徒と裏切り/報われるのか?

私は自分の情けなさに失望しています

 

2年前、人生初の長財布にウキウキして買った2ヶ月後に落としました(危なかった話 - SLEのゆくさき)。

 

対策として小さな名刺入れを買ってそれに免許証や学生証やクレカやら最低限を入れて、普段はそれだけ持ち歩いていました。

 

そうすること2年、おそらくそれを落としました…。落とさないための対策をして落とすというアホ加減。

まだ落としたことを受け入れられず(警察には届け済)、カードを止めた以外何もしていません。

 

帰ってこない場合損失は、学生証のプリペイドマネー15000円+再発行1000円+免許の再発行2250円(?)+名刺入れ8000円=26250円

 

え…

 

届け出てから今週いっぱいは待とうと思います。車・バイク使えないの辛いけどね

免許更新行って数日で無くすって…。

 

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ブラピも思わずこの表情

 

 

一応関連するので、『また書きます』って言ってたことを書きますか。

 

件の新大学1回生(最後まで諦めない/親心?/最高の世界 - SLEのゆくさき)に関する話だ。

 

長くなりそうだが一気に書く

まず、なぜここまでこの子に拘るかから書かねばなるまい

 

【飛ばしていいです】

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私は19の時、同級生が意気揚々と進学する中で一人取り残されていた。

病名がわからないまま自宅療養、奇跡的に(天才的に?笑)大学には受かったものの到底通えないことから休学を余儀なくされていたのだ。

当時まだプレ40mg(今思うとすごい量)、ずっと発熱する中で「多分次冬が来たら死ぬんだ」とか本気で思っていた(発症したのが冬だったことと、気温が上がってもずっと悪寒がしていたことによる)

 

そんな中で僅かながら動けるようになった私は、中学の頃通っていた個別指導塾(今も働いているのがこの教室だ)でアルバイトをすることを決意(幻影の狼煙を - SLEのゆくさき)する。

座ったままで良い、1日1.5〜3.0時間で良い、夕方からの勤務である(不眠でもわりかし元気に動ける時間だ)などと病気の自分にとっては好条件だった。

さらに、受験シーズンまで持ち堪えれば1年で死んでしまってもそこまで迷惑はかからないことや、あわよくば自分の再受験(私が合格したのは第一志望ではなかった)の準備にもなるとも考えていた

 

その年に出会ったのが件の生徒(Eとしよう)である。個別指導は大抵、体験授業→三者面談→入会・週1の授業と進む。

もちろん体験授業は急に入るのだが、私はその日のシフトを見てなぜか強い既視感に苛まれた。

実はこのEには上の兄弟(F)がおり、私とFとは中高の同級生だった(話したことはほとんどなかった)。EとFは同性でもあり、4文字中1文字しか違わなかったことによるデジャブだったのだ。

 

Eは中3の受験生だった。真面目で明るく、よく懐いてくれた。Eは、Fと(私とも)同じ高校に進学したいと入塾してきた。運命的なものを感じざるを得なかった。

私にはロマンチストな部分がある。理想を追い求めるのも好きだ。硬貨は小銭入れに、王は玉座に座るべきように、Eはその高校に行くべきだと思った。

私は相当に手をかけ(授業のない日も塾に顔を出し質問対応にあたったし、1年目にして特別プリントを作成した。5教科全ての指導さえ行なった。)、Eもそれに十二分に応えた。

 

Eは果たして合格した。Eが入学式の時の写真を送ってくれた。自分で言うのも何だが、それなりに頭のいい高校である。しかし、Eの溌剌とした表情は、その格調ある制服に全く引けをとらなかった。それはまるで、立派なティアラの輝きさえ霞んでしまう王女のようであった。

 

その後Eが退塾してからも、ときたま連絡をとった。もとより私は転居し一旦塾を辞めていたが、私以上に上手く教えられEに熱量を持てる人間はいないと思っていた。だから、たとえEがどこかの塾に入り直すことがあっても、オンラインでも何でも教えてやろうと考えていた。

 

 

結局私は京都に戻り、再受験し(その最中に元の塾に復帰し)た。気づけばEは新高3生、私はキャリア4年目(新大学1回生)になっていた。

 

私はEを塾に呼び戻した。Eはかなりお金のことを心配しているようだった(今になって思えばそれほどでもない、EはFと2人兄弟だし家庭はとても安定していた)。

そのため自習コースという定期的な授業を受けない一番安いプランで入塾することになった。

 

ここで私のポリシーを紹介する。1つは生徒と協働することである。子供が必死に頑張る中で大人がふんぞりかえっていることがこの世界に悲しみを生んでいる。

一緒に汗を流し共に励む。もっとも時間的には彼らの努力が優勢である。しかし、テクニックを駆使し質で全く引けをとらない努力もとい準備をする。

もう1つは成長することである(教学相長)。彼らは1年で、いや1ヶ月もしないうちに大きく成長してくれる。それに負けないくらい我々も成長するのである。

 

他にももっとあるが、1によって自習フォローの徹底、2によってICTの導入・活用(Google form、ppt、etc...)をした。

Eは非常に礼儀正しい大人になっていた。中3の時以上に、わたしの準備に対して必ず感謝を伝えてくれた。

 

受験生としてみるとかなり絶望的な状態で入塾してきた。勉強に取り組む姿勢も、中3の頃とは違いどこか悟っているような諦めているような部分があった(最近、中学生から高校生にかけて特に女子は精神面で大きく変化するように感じる)。しかしEの良さも十分に残っていた。

 

夏前になり絶望的な状況がさらに悲惨なものになっていた。Eの母は私のことを3年前から信頼してくれており、E伝えに感謝や尊重の念を送っていただいていた。自習フォローに関しては「全然お金の出ないことなのに本当に申し訳ないし、大変ありがたい」と恐縮してくださった。そして結局、週2回の定期的な授業をとってくれることになった。

 

しかし全体の受験プランから考えた結果、数学ともう一つの教科(ぼやかしたい、Subjectの Sとする)を授業で取ることになり、Sは別講師の担当になった。

 

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【飛ばすのはここまで】

 

まとめると、件の生徒Eは私にとって特別な思い入れがあり、私の営業努力(中3時のきめ細やかな指導・高1・2の間の連絡{もちろん数学等の質問対応}・入塾勧誘・無給与の自習フォロー)によって週2回の授業を高3の夏から取ってくれるようになり、その片方をS教科(数学以外の)担当に譲ることになったということである。

 

私の異常なまでの(担当生徒に対しては全員であるが)執着・情熱は塾内では衆知の事実である。上記を話したわけではないが、S教科担当にEの現状や課題・目標を伝えたり、連絡をするときにもそれは伝わっていたはずである。

 

そして時は流れ受験シーズン真っ只中となる。

順番は、共通テスト(昔で言うセンター試験、大昔で言う共通一次試験)→私立各校→国公立二次試験であることを念の為お伝えしておく。

 

私は受験直前になると、鬼のようなスパルタ指導から急に、ケーキのような激甘対応に変わることを認めざるを得ない。

正直なところ「直前で厳しいことを言っても何も変わらない」と思っているのだが、メンタルケア、体調管理から考えればこれで良いと思っている。

 

私立各校までが終わったときEは私に「ゆけはむさんは、ちゃんとしてますね」と言った。私は「なんで?」と嬉しさを隠しながら聞いた。

Eによれば、S教科担当は受験直前の授業でEが「今週末受験なんですよ」と話したとき(そもそも生徒から言わないといけない空気感がある時点で失格である。)、「そうなんや、頑張れ」とのたまったという。それも共通テストと私立各校ともにである。(もっともEはこのことをそこまで気にかけていない様子である)

 

私は徐々に顔が紅潮し、体が震えてゆくのを感じた。

「そうなんや」には、S担当が受験日程を把握してないことと、それを恥ずかしげもなく言葉にしていることが現れている。他人事感も否めない。

加えて「頑張れ」ではないだろう。私のポリシーは「共に頑張る」ことだ。何で最後に突き放すのか、独りにするのか。

もちろん受験会場では受験生は一人で戦わなくてはならない。しかし孤独であってはならないのだ。親や家族、恩師、仲間…そうした者の励ましや応援や期待や、優しさや加護や温もりによって5教科7科目を戦い抜くのである。

 

 

「敵はこんな近くにいたのか」とは、オードリー春日が公開プロポーズの1週間前に不倫していたことを知った若林様のセリフであるが、全く同じことを思った。

 

入試問題・制度、学校行事、誘惑、コロナウイルス、Eなりの躓き・不安・葛藤…あらゆる敵からEを退け、勉強に集中させてきたつもりだったが、こんな近くで寝返られたら対応できない。

 

国公立二次試験の直前にも「これで僕(私)の授業は最後やね」とやはり受験には触れなかったそうだ。どこまでも自分中心なのだ。お前の授業、そんなに偉大で貴重か??

 

S担当は、受験後「担当生徒の直近の得点や成績を全く覚えたことはないし、意識したこともないし、受験は人生を左右しない」とも仰っている。

読者の皆さん、私はこいつにグーパンしても許されるのではないだろうか?

 

 

私は教育を次世代へのバトンパスと見做している。私のヒューマンパワーがたとえ常人の10倍あったとしても健康寿命を考えれば、他者に知恵や知識、パラダイムを譲り活用してもらった方がいいと考えている。

いや、はっきり言うと私の代わりに夢を叶えてほしいのだ。東大京大合格、弁護士や医者や敏腕経営者になるなど。

もっともそんな生徒ばかり来るのではないことはわかっている。彼らは平凡かそれ以下の人生を送るのかもしれない。しかし、彼らが送るささやかながらも幸せを感じる人生の基盤を私は作りたいのだ。それら全ては私の叶えられないことだからだ。

 

 

さて、これが財布にどうつながるのかである。

 

①彼氏実はいました(失恋の乗り越え方/なぜダイエットを始めたか/はじめての喫煙 - SLEのゆくさき

②塾でのストレス(「嫌いになりたくない」の真意 - SLEのゆくさきが一例)・裏切り(本記事が一例)

③落とさない対策をして財布を落とす(本記事)

 

これが1〜2ヶ月間で起こった(もっとも③は①②のせいかもしれない)。私はこれ以上不幸に、不条理(③に関しては自業自得だろ!という意見は却下します)に耐えられない。

 

先日、2回生時に見学に行く校種(小・中・高)の振り分けがあった。もちろん私の希望は高校。枠は7名、希望者は9人いた。

ジャンケンで決めることになり、わたしは負け残り3人になった。(もう本気で死のうと思った)

その後のジャンケンで最後の枠に奇跡的に(天才的に?笑)残ったおかげで今朝を迎えられた。

 

私は一生報われないのかもしれない。でも、私の誕生日まであと1ヶ月、ちょっとくらい幸せなことがあっても良くないか?(あ、1回生後期もフル単でした!いや、これが幸せとはしたくないねん)

 

 

 

あーあ、財布を実は佳子さまが拾ってくれてて、これを機に仲良くなれるとかないですか?(こんなこと言うたら不敬罪ですか?)神様

 

 

 

心込めて(最後の言葉、また変えようかな)