SLEのゆくさき

2018年1月末よりマイコプラズマ肺炎の疑いで入院後、ループス腎炎と診断。3月末SLEと診断されました。1年休学後復学したのち退学。2021年再受験し2024年2月現在大学3年生の24歳。不定期に更新しています。

予約投稿宣言の意味/財布の顛末/原点と身の丈

(この記事もまた予約投稿です)

あー、腹減った。

 

チートデイの後からずっと食欲がすごい。指先も割とほかほかしてるし、確かに代謝上がるのかもしれん。てかちょっとカラムーチョ食べちゃったし。

 

海苔のPFCバランスがめっちゃ理想的。しかもCの中でも食物繊維かなり多めやし。(塩分に注意かな?)

そう思うとやっぱシャケおむすびって完璧やわ。みんな、シャケおむすびを貪れ!

 

 

えー、最近(この記事は予約投稿です)とか書いてるのは、コメント来てもすぐ返せないよって事です(ほとんど来ないけど。)

例えば4/4の記事にコメント書いてくださって、4/5に新しい記事が投稿されてても、僕は4/4から1ヶ月以上はてなブログに触らない可能性があります。アプリを開かないし通知も設定してないのでコメント来たことにも気付きません。ご了承ください。

 

じゃあ何で予約投稿するの?って話なんですけど、日程分けた方がいいかなって、なんとなくです。

 

 

あとは結局財布もとい名刺入れは返ってこず(見つからず)、免許・学生証・クレカは再発行しました。肝心の名刺入れは同じのもう一回買うとまた8000円弱するので、高校時代に使ってた超古い折りたたみ財布でしばらく我慢します。(てかこれをつかうと、かさばるとかの前に長財布要らなくね?ってなっちゃうのが怖いんだよな)

 

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映画『SE7EN』(結構面白かったです)のブラピ は刑事警察だから俺の財布は探してくれなさそう。

 

 

 

えー、完全に個人的な話(ばっかりだったはずのこのブログも社会派の記事を書くようになりましたね)。

 

 

件の生徒(財布落としました/件の生徒と裏切り/報われるのか? - SLEのゆくさきに詳しい)…っていつまで引っ張んねん!!とツッコミが入りそうだが、多分これで終わり、関わりが相当減るので。

からですね、入学式の写真が来ました。

スーツに身を包んだ笑顔はとっても美しく象徴的で、何よりも僕にとって大切なものを思い出させてくれました。

 

え?愛ですか?とかじゃなくて(正直ちょっと好きですけど)、僕の原点です、18歳の頃の。

 

男塾(現況報告/不幸と不運/諦めるということ - SLEのゆくさきの終盤)でも思い出せなかった献身の原動力。

そう、こんな幸せを、喜びを、未来への期待を、可能性を創り出したいんじゃないのか??

 

そこにお前って要るか??いや、触媒となれ、炎となれ、それでいい。

別に横で微笑んでくれなくたっていいんだ、なんなら感謝も程々でいいんだ(されるのはされたいんかい!)、どこかで俺が創り出した笑顔が咲いてればいい。

 

わたしは今回それを一つ創り出せたんじゃないか??何よりも尊いことなのではないか?

 

そしてそれは何よりも喜ぶべきことだろう。

 

 

誰に何と言われても(プロじゃないとか)、どんな不幸が自分に降り掛かっても(実際今年の受験生には、俺からパワーをあげますとかスピリチュアル的なことをしたが、それでパワー吸い取られた気がするわ)、誰かの健全な笑顔が作れたらいいじゃないか?

 

 

 

いや、やっぱちょっと嫌やな笑 俺も幸せになりたい。

 

何年間も何回もやけどまた聞きます。

 

 

僕はどこまで望んでいいですか??どれくらいなら許されますか?何をすればいいでしょうか?

 

 

答えは返ってこない。

自分で見つけろとか決めろとか人は言う。

 

でも俺は違うと思う。もう決まってて、誰もそれを見つけられないだけだ、「身の丈にあった幸せ」は。

 

 

KEEP giving up, bro.

報復は許されるのか

(この記事も予約投稿です)

 

ウィルスミスさんの平手打ち(ビンタって言葉の方が好き。てか美女にビンタされたい)が世界的に話題になってますね

 

私も人気カリスマブロガーとして触れないわけにはいきません。

 

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うーん、カッコいい…ブラピが。

 

 

はじめ、「スカッとするな」っていうのと「まあ暴力はあかんのかな」くらいに思ってました

 

この記事がとてもわかりやすかった。

「ウィル・スミス平手打ち」擁護に見る日米の差 | 映画・音楽 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

 

 

みんな大方そんなところじゃないですか?「確かに奥さんのこと言われたらビンタしたくもなるけど、暴力はダメだよねー」って。

 

うんうん、

 

 

ん?

 

 

俺、法学とか全然詳しくないけど、刑罰とかそれこそ死刑はどうなんだ??ビンタはダメで死刑は容認??

 

https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/saibaninnominasamahe.pdf

とりあえず刑罰に関しては

①刑罰が言い渡されることを広く社会に知らせて、犯罪を予防する

②その人が再び罪を犯さないように教育する目的(教育刑

③罪に対して報復をする目的(応報刑

 

があるらしい。あとは近代的には私刑を禁じている(その代わりを国家が担っている)ことからもビンタはやっぱりダメそうだ。

 

 

で、死刑を考えよう。

まず調べたところ①は効果が薄いようだ。死刑決定が慎重になった(つまり死刑にしないように頑張った)時期も犯罪率は変わらず、死刑廃止した国も変わってないらしい。

 

②も無いね。ある死刑囚の方が判決を受けて最後に謝罪と反省を込めて、被害者遺族や傍聴席にお辞儀をしたら検察から「死刑を逃れるパフォーマンスするな」とか言われたらしい。どうせ死ぬから反省もクソもないとのことで、自分が犯してしまった殺人の贖罪の気持ちで死ぬなんてありえなさそう。

 

で、やっぱり③みたい。

死刑存廃問題 - Wikipedia

社会契約説から考えてる部分が面白かった。

 

でも、国家による報復は良くて、個人による報復は絶対ダメなの?

 

うーん、なんか報復自体ダメな気がするけどなあ

 

 

わかりません。

運がいいだけの成功者/あなたは地震を経験したことがあるか?

(この記事は予約投稿です。)

 

最近、うちの塾で社会人5〜6年目の人を呼んで、就活とか社会の話をしてもらう(?)座談会をやってる。自由参加やしお金は出ない。

 

俺は1回も行ってない。まず時間が合わないし、それより教務力向上の催しをやってほしいし、何よりそれを聞いてもほとんど自分の人生に活かせない。

 

一個前の記事とも繋がるけど、結局「運がいいだけやん」

 

こういうキャリアプランで、そのために学生時代こんなことをして一旦こういう会社に入ってスキルをつけて…

はいはい、で?病気しなかったんでしょ?家族の介護とか身内が借金したりとかなかったんでしょ?交通事故にも遭わなかったんでしょ。運がいいだけやん、イキんな。

 

それを角が立たないように伝えたら「そんなん、もう誰の話も聞けへんやん、間違ってるわ」って言われた。いったん正誤はおいといて、「そうですよ?聞けませんし聞きませんよ?」もう一つ、「仮に間違ってるとして何が悪いんですか?」

 

次に来たのは「じゃあ同じように病気した人の話やったら聞きにきたいと思う?」はい、アホ。

同じように病気・事故とかの不幸があった人なんてこの世に存在しないから。みんな条件が違うから例えば「がんになったけど治って再発もせず元気に働いてる人いるよ」って言われて「あなたは ね」でしょ?

あと、俺が思うのはそういうエピソードって他の患者さん苦しめてる部分あるよ。追い詰めてる。特に家族とか周りのやつ、そんな話してたらぶっ飛ばしたるからな(僕の記事見て元気そうやなと思うまではいいけど、「SLEでも再受験で頑張ってる人いるよ」とか言うなよ?)

(患者当人が元気や勇気をもらうことは大いに結構ですよ!)

特殊な(ここではレアケースって意味じゃなくて具体例って意味です)例を出されて話されても「そうなんですね、よかったですね」でしょ?

 

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I LOVE YOU!!!

 

で、俺思ったわけ。これ地震のない国とある国、砂漠の街(に住んでても〜♪ってホントいい曲ですよね)と大きな川が流れる町の住人で議論してるようなもん。

 

前者の地震を「病気」に置き換えてみてほしい。

家は基礎部分はこうして、間取りはこうして、こんなふうに柱を組んで、屋根をつけるんです。で、後々二世帯住宅にすることも考えて〜

 

地震来たらどうすんの?」

あ、えっと…。

瓦落ちますよ?窓割れますよ?なんなら家崩れますよ

 

大丈夫です、うちは耐震構造で作ってます!

 

これ、一番愚かな答えです。だって震度9(そんなものないけど)で実験しましたか??もしくは、あなたの国で起こりうる地震の規模でしかやってないでしょ?こっちは普通に震度5・6バンバン来ますよ?

真の絶望って、我々が予知できない規模とタイミングと速度で迫ってくるんですよ?笑

 

議論を円滑に進めるために、考慮する領域を狭めることは大いに結構。ただ、「これが正解だ、最高だ、君たちもこうしろ」って【人生】に関して話に来るのは馬鹿すぎないかね?(しかも20代の輩が。)

きっしょって思ってるわ。ジジイ呼んでこい。

 

 

まあでも、そんなふうに自己肯定感高い方が絶対生きてて楽しいやろな。私のライフプランニングを見習って〜って笑 やっぱキモいわ

 

 

と、地震のある国からのレポートでした

 

KEEP giving up, bro.

 

現況報告/不幸と不運/諦めるということ

まず、お詫びせねばならないのは今まで「筋肉量」と書いてきたのは正しくは「除脂肪体重」でした。これは体組成計が悪い

 

えー、先日53.9kg 体脂肪率16.1%まで来ました。ちょっと腹筋見えてきた!

お米のカロリーと糖質を、炊飯前と後の数値を見誤っており減量設定になってしまってました。ここからはほぼ全体重は現状維持のまま脂肪を落としたいです。昨日チートデイをかますと体重が54.6kgになり焦っておりますが、お腹もめっちゃ減るし代謝は上がったと実感できてます。

 

 

あと、授業一コマの給料が100円上がりました!笑 ほとんどこの水準にいる人はいないみたいで、もう上がらないらしいです。

ま、それに関しても「時給100円上げます!」って言われて喜んでたら85分のコマ給が100円上がるっていう。俺らの25分を軽んじられてます、完全に。そういう細かい言葉遣いに本心が見え隠れしてんねん

 

あとは、母校で恩師の元でスクールボランティアやろうと思ってたら今年度から違う高校に異動になるらしい、ここでもまた不運。

 

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ブラピ、俺はお前と入れ替わりたいが、お前はどうだ?

 

 

生徒に言われて気づいたけど前厄らしい、ガチでおもんない。

 

この前、財布探すために車のいろんなところ見てたら500円見つけたけど、ここ数ヶ月の幸運と不運が全く釣り合ってない。いや、ここ数年か??

 

幸福と不幸という観点で見るとまだマシなバランスをしてる。ただ、俺が思うのは俺に取って良いこと(例えば合格とか、ダイエット成功とか、昇給とか、フル単とか、褒められるとか)って全て俺の努力によるもの(幸運ではない)やねん。

 

で、不幸はほとんどが俺に責任がない「不運」なものやねんな。

 

これでも「因果応報」なんか?やっぱりずっと性格悪く生きてきたし、前世にも何かやらかしてるんやろな。

 

 

「頑張ってて偉い」っていう表現がめっちゃ嫌。頑張ってないときは偉くないのか?って思っちゃう。努力によってしか自分を認めてもらえないのか?いつまで続けんねん。

「頑張る」の程度が本人の能力と比べてしょぼすぎるやつも気持ち悪い。

 

逆境の中で生きる姿が他の人に元気を与えるらしい。

そうですか、だから?なんで俺がその役目にならなあかんの?元気を与えられた他人がやることってカスみたいなことやん。俺の人生はどうなんの?(ほぼ終わってるか。)

 

そうではなく無条件に受け入れられたい。それが自宅にはないことに悲しみを覚えていたのは2年前まで。

 

 

私の夢はここに書いたことがあるだろうか

高校数学教師か予備校講師になるとかそういうものも重要だが、最近叶えたいのは「イベント事を楽しめる家庭を作る」ことである(なんて乙女なの)

高校生と話してて、兄妹も中学生以上なのに「節分だったので恵方巻き食べました」。心底羨ましかった。反抗期でうざがられてても嫌われてても「今日くらいは一緒に過ごそうよ」と言える関係でありたい。

うん、叶わない夢を描くのはなんとも愚かで楽しい。享楽的

 

 

こんなふうに、クソみたいな人生さっさとやめたいなー、報われない生活から解放されたいなーという気持ちがズンズン降りしきってた中に、昨日ある言葉が飛び込んできた

 

男塾(聞いたことはあったが、詳しく知らない)の中のセリフ

『男なら幸せになろうと思うな。幸せになるのは女と子供だけでいい。 男なら死ねい。毎日を死ぬ覚悟で生き、安逸に人生を消耗させるな。いかなる困難にも負けず、毎日を熱く苛烈に生きるのだ。』

 

ここで念のため言っておくが、私自身は旧来の考え方を持っていてゴリゴリの(平成生まれ昭和的)男性である。「男なら泣くな」とか、「男に二言はない」とか言われて育ってきたし、むしろそういう言葉で奮い立たされる人間である。

 

 

発症以来、一年いや半年おきくらいに「自分の幸せ」を求めたり求めなかったりしている。

自分の人生やし、と自分のやりたいことをやる時期もあれば、自分はクソゴミ人間で未来もないから他の人に尽くそう、とか思う時期もある。(後者の卑下度合いが一般人のそれとは違うと思ってる)

 

後者の時期をとても肯定された感覚だ。(男を自分と読み替えたら尚良い)

 

うん、諦めよう

 

 

ただ、私は数年に渡って書いてきたが、「諦める」という行為は継続的なものである。つまり「支える」とか「ぶらさがる」のように状態を保つためにはずっとその行為を続ける必要がある。

 

だから言い直す。諦め続けよう。

KEEP giving up, bro.

財布落としました/件の生徒と裏切り/報われるのか?

私は自分の情けなさに失望しています

 

2年前、人生初の長財布にウキウキして買った2ヶ月後に落としました(危なかった話 - SLEのゆくさき)。

 

対策として小さな名刺入れを買ってそれに免許証や学生証やクレカやら最低限を入れて、普段はそれだけ持ち歩いていました。

 

そうすること2年、おそらくそれを落としました…。落とさないための対策をして落とすというアホ加減。

まだ落としたことを受け入れられず(警察には届け済)、カードを止めた以外何もしていません。

 

帰ってこない場合損失は、学生証のプリペイドマネー15000円+再発行1000円+免許の再発行2250円(?)+名刺入れ8000円=26250円

 

え…

 

届け出てから今週いっぱいは待とうと思います。車・バイク使えないの辛いけどね

免許更新行って数日で無くすって…。

 

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ブラピも思わずこの表情

 

 

一応関連するので、『また書きます』って言ってたことを書きますか。

 

件の新大学1回生(最後まで諦めない/親心?/最高の世界 - SLEのゆくさき)に関する話だ。

 

長くなりそうだが一気に書く

まず、なぜここまでこの子に拘るかから書かねばなるまい

 

【飛ばしていいです】

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私は19の時、同級生が意気揚々と進学する中で一人取り残されていた。

病名がわからないまま自宅療養、奇跡的に(天才的に?笑)大学には受かったものの到底通えないことから休学を余儀なくされていたのだ。

当時まだプレ40mg(今思うとすごい量)、ずっと発熱する中で「多分次冬が来たら死ぬんだ」とか本気で思っていた(発症したのが冬だったことと、気温が上がってもずっと悪寒がしていたことによる)

 

そんな中で僅かながら動けるようになった私は、中学の頃通っていた個別指導塾(今も働いているのがこの教室だ)でアルバイトをすることを決意(幻影の狼煙を - SLEのゆくさき)する。

座ったままで良い、1日1.5〜3.0時間で良い、夕方からの勤務である(不眠でもわりかし元気に動ける時間だ)などと病気の自分にとっては好条件だった。

さらに、受験シーズンまで持ち堪えれば1年で死んでしまってもそこまで迷惑はかからないことや、あわよくば自分の再受験(私が合格したのは第一志望ではなかった)の準備にもなるとも考えていた

 

その年に出会ったのが件の生徒(Eとしよう)である。個別指導は大抵、体験授業→三者面談→入会・週1の授業と進む。

もちろん体験授業は急に入るのだが、私はその日のシフトを見てなぜか強い既視感に苛まれた。

実はこのEには上の兄弟(F)がおり、私とFとは中高の同級生だった(話したことはほとんどなかった)。EとFは同性でもあり、4文字中1文字しか違わなかったことによるデジャブだったのだ。

 

Eは中3の受験生だった。真面目で明るく、よく懐いてくれた。Eは、Fと(私とも)同じ高校に進学したいと入塾してきた。運命的なものを感じざるを得なかった。

私にはロマンチストな部分がある。理想を追い求めるのも好きだ。硬貨は小銭入れに、王は玉座に座るべきように、Eはその高校に行くべきだと思った。

私は相当に手をかけ(授業のない日も塾に顔を出し質問対応にあたったし、1年目にして特別プリントを作成した。5教科全ての指導さえ行なった。)、Eもそれに十二分に応えた。

 

Eは果たして合格した。Eが入学式の時の写真を送ってくれた。自分で言うのも何だが、それなりに頭のいい高校である。しかし、Eの溌剌とした表情は、その格調ある制服に全く引けをとらなかった。それはまるで、立派なティアラの輝きさえ霞んでしまう王女のようであった。

 

その後Eが退塾してからも、ときたま連絡をとった。もとより私は転居し一旦塾を辞めていたが、私以上に上手く教えられEに熱量を持てる人間はいないと思っていた。だから、たとえEがどこかの塾に入り直すことがあっても、オンラインでも何でも教えてやろうと考えていた。

 

 

結局私は京都に戻り、再受験し(その最中に元の塾に復帰し)た。気づけばEは新高3生、私はキャリア4年目(新大学1回生)になっていた。

 

私はEを塾に呼び戻した。Eはかなりお金のことを心配しているようだった(今になって思えばそれほどでもない、EはFと2人兄弟だし家庭はとても安定していた)。

そのため自習コースという定期的な授業を受けない一番安いプランで入塾することになった。

 

ここで私のポリシーを紹介する。1つは生徒と協働することである。子供が必死に頑張る中で大人がふんぞりかえっていることがこの世界に悲しみを生んでいる。

一緒に汗を流し共に励む。もっとも時間的には彼らの努力が優勢である。しかし、テクニックを駆使し質で全く引けをとらない努力もとい準備をする。

もう1つは成長することである(教学相長)。彼らは1年で、いや1ヶ月もしないうちに大きく成長してくれる。それに負けないくらい我々も成長するのである。

 

他にももっとあるが、1によって自習フォローの徹底、2によってICTの導入・活用(Google form、ppt、etc...)をした。

Eは非常に礼儀正しい大人になっていた。中3の時以上に、わたしの準備に対して必ず感謝を伝えてくれた。

 

受験生としてみるとかなり絶望的な状態で入塾してきた。勉強に取り組む姿勢も、中3の頃とは違いどこか悟っているような諦めているような部分があった(最近、中学生から高校生にかけて特に女子は精神面で大きく変化するように感じる)。しかしEの良さも十分に残っていた。

 

夏前になり絶望的な状況がさらに悲惨なものになっていた。Eの母は私のことを3年前から信頼してくれており、E伝えに感謝や尊重の念を送っていただいていた。自習フォローに関しては「全然お金の出ないことなのに本当に申し訳ないし、大変ありがたい」と恐縮してくださった。そして結局、週2回の定期的な授業をとってくれることになった。

 

しかし全体の受験プランから考えた結果、数学ともう一つの教科(ぼやかしたい、Subjectの Sとする)を授業で取ることになり、Sは別講師の担当になった。

 

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【飛ばすのはここまで】

 

まとめると、件の生徒Eは私にとって特別な思い入れがあり、私の営業努力(中3時のきめ細やかな指導・高1・2の間の連絡{もちろん数学等の質問対応}・入塾勧誘・無給与の自習フォロー)によって週2回の授業を高3の夏から取ってくれるようになり、その片方をS教科(数学以外の)担当に譲ることになったということである。

 

私の異常なまでの(担当生徒に対しては全員であるが)執着・情熱は塾内では衆知の事実である。上記を話したわけではないが、S教科担当にEの現状や課題・目標を伝えたり、連絡をするときにもそれは伝わっていたはずである。

 

そして時は流れ受験シーズン真っ只中となる。

順番は、共通テスト(昔で言うセンター試験、大昔で言う共通一次試験)→私立各校→国公立二次試験であることを念の為お伝えしておく。

 

私は受験直前になると、鬼のようなスパルタ指導から急に、ケーキのような激甘対応に変わることを認めざるを得ない。

正直なところ「直前で厳しいことを言っても何も変わらない」と思っているのだが、メンタルケア、体調管理から考えればこれで良いと思っている。

 

私立各校までが終わったときEは私に「ゆけはむさんは、ちゃんとしてますね」と言った。私は「なんで?」と嬉しさを隠しながら聞いた。

Eによれば、S教科担当は受験直前の授業でEが「今週末受験なんですよ」と話したとき(そもそも生徒から言わないといけない空気感がある時点で失格である。)、「そうなんや、頑張れ」とのたまったという。それも共通テストと私立各校ともにである。(もっともEはこのことをそこまで気にかけていない様子である)

 

私は徐々に顔が紅潮し、体が震えてゆくのを感じた。

「そうなんや」には、S担当が受験日程を把握してないことと、それを恥ずかしげもなく言葉にしていることが現れている。他人事感も否めない。

加えて「頑張れ」ではないだろう。私のポリシーは「共に頑張る」ことだ。何で最後に突き放すのか、独りにするのか。

もちろん受験会場では受験生は一人で戦わなくてはならない。しかし孤独であってはならないのだ。親や家族、恩師、仲間…そうした者の励ましや応援や期待や、優しさや加護や温もりによって5教科7科目を戦い抜くのである。

 

 

「敵はこんな近くにいたのか」とは、オードリー春日が公開プロポーズの1週間前に不倫していたことを知った若林様のセリフであるが、全く同じことを思った。

 

入試問題・制度、学校行事、誘惑、コロナウイルス、Eなりの躓き・不安・葛藤…あらゆる敵からEを退け、勉強に集中させてきたつもりだったが、こんな近くで寝返られたら対応できない。

 

国公立二次試験の直前にも「これで僕(私)の授業は最後やね」とやはり受験には触れなかったそうだ。どこまでも自分中心なのだ。お前の授業、そんなに偉大で貴重か??

 

S担当は、受験後「担当生徒の直近の得点や成績を全く覚えたことはないし、意識したこともないし、受験は人生を左右しない」とも仰っている。

読者の皆さん、私はこいつにグーパンしても許されるのではないだろうか?

 

 

私は教育を次世代へのバトンパスと見做している。私のヒューマンパワーがたとえ常人の10倍あったとしても健康寿命を考えれば、他者に知恵や知識、パラダイムを譲り活用してもらった方がいいと考えている。

いや、はっきり言うと私の代わりに夢を叶えてほしいのだ。東大京大合格、弁護士や医者や敏腕経営者になるなど。

もっともそんな生徒ばかり来るのではないことはわかっている。彼らは平凡かそれ以下の人生を送るのかもしれない。しかし、彼らが送るささやかながらも幸せを感じる人生の基盤を私は作りたいのだ。それら全ては私の叶えられないことだからだ。

 

 

さて、これが財布にどうつながるのかである。

 

①彼氏実はいました(失恋の乗り越え方/なぜダイエットを始めたか/はじめての喫煙 - SLEのゆくさき

②塾でのストレス(「嫌いになりたくない」の真意 - SLEのゆくさきが一例)・裏切り(本記事が一例)

③落とさない対策をして財布を落とす(本記事)

 

これが1〜2ヶ月間で起こった(もっとも③は①②のせいかもしれない)。私はこれ以上不幸に、不条理(③に関しては自業自得だろ!という意見は却下します)に耐えられない。

 

先日、2回生時に見学に行く校種(小・中・高)の振り分けがあった。もちろん私の希望は高校。枠は7名、希望者は9人いた。

ジャンケンで決めることになり、わたしは負け残り3人になった。(もう本気で死のうと思った)

その後のジャンケンで最後の枠に奇跡的に(天才的に?笑)残ったおかげで今朝を迎えられた。

 

私は一生報われないのかもしれない。でも、私の誕生日まであと1ヶ月、ちょっとくらい幸せなことがあっても良くないか?(あ、1回生後期もフル単でした!いや、これが幸せとはしたくないねん)

 

 

 

あーあ、財布を実は佳子さまが拾ってくれてて、これを機に仲良くなれるとかないですか?(こんなこと言うたら不敬罪ですか?)神様

 

 

 

心込めて(最後の言葉、また変えようかな)

デストルドーの零地点突破/慰められたい/必要にされること≠頼りにされること

(この記事も予約投稿です)

 

私は死にたい、4年前病気をしてからずっとである。

あるとき人間の安楽死の動画を見てから、もし死の点滴が繋がれていたらスイッチ(あれなんて言うの?)をひねるかどうかを自分に問いかけるようになった。

実は去年1年間は、「ひねらない(今は死なない)」と思ったことが30%ほどあった。

 

私は最近、「家庭教師ヒットマンリボーン」の漫画(アニメが小学生の頃放送されていてたまに見ていた)を読んでいる。ひ弱な主人公が特殊な銃弾で「死ぬ気」にさせられ、馬鹿力を発揮するところから始まる。

物語がバトル系に切り替わった後(面白いくらいの急展開である)、「死ぬ気の零地点突破」なる技が登場する

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私はまさにこれだと思った。昔こんな記事最後の死ぬ気弾、タクさん - SLEのゆくさきも書いたが、そういうことではない。

 

一度死にたいという気持ち(デストルドー)に振り切った反動で、生きるという欲動(リビドー)を自分の中で最大化して生きているのではないかと。

 

だからなんだという話だが、「死にたい」は単にその気持ちの表明ではなく、生きる活力にも繋がっている(人もいる)ことをお知りおき願いたい

 

 

 

それで、そんな気持ちが増えつつあるここ最近、私は自分のことで泣けるようになってきた。

これは医学的見地からすれば「精神薬の離脱症状」だとか「再処方が必要」だとか言われることなのかもしれない(だから医学はクソである。今までの症例{過去}を見ながら、患者の{将来}を考える、いわば後ろを見ながら目的地に向かうような愚かさを孕んでいる)

 

私からすれば、「成長」もしくは「奪還」と呼べる。やっと取り戻した能力。泣くことは心を洗い流すことではないか?

 

以前も述べたように、「動かない俺」に何の価値もないのである。ぼーっと座っている/寝ているときの俺を誰も必要としていない。

だから忙しなく世話する(Creepy Nutsの聴きすぎ)、働く、話す…

 

その活動によって初めて自分の存在価値が生まれ、その活動の結果を他人は讃え、成功の果実を欲しがる。

 

そして「褒められ慣れた」ともカッコつけていた。生きていてくれたら - SLEのゆくさきしかしもっと深掘りすれば「褒められるのではなく慰められたい」という情けない気持ちでいっぱいなのだ。

 

(この段落の発言は全て無責任から出たものを除く)大丈夫だよ、あなたならできるよ、悪くないよ、考えなくていいよ、そのままでいいよ、居てくれたらいいんだよ、辛いことはしなくていいんだよ、しんどかったら休んでていいよ、悲しい気持ちになったら泣いていいんだよ涙を拭いてあげるから、寝たいときに寝ていいよ…

 

 

「「「頑張らなくていいよ」」」

 

 

全て、俺が欲しい言葉であり少なくともこの4年俺がかけてもらっていない言葉

 

 

嘘でもいい、身近な人がそう言って1日、いや1時間、いや10分でも夢を見させて欲しい

これが「自分が必要とされていること」の正体だと思う。

 

それを「頼られること」が「必要とされること」の全てだと曲解していた。

 

受からせてほしい、そのために教えてほしい、話を聞いてほしい、質問に答えてほしい、励ましてほしい…生徒・保護者からの言葉

 

授業をしてほしい、そのために準備してほしい、受からせてほしい、報告書を書いてほしい、企画を考えてほしい、いついつ出社してほしい、ミーティングのために残ってほしい、残って掃除してほしい…同僚や教室長からの言葉

 

「頼られる」は往々にして「お前じゃなくていいけど」が含まれる。その瞬間、俺が俺である必要性がなくなる、つまり形而上の俺は死ぬ(あ、ちゃんと死ねていたんだ!笑)

 

 

4年間間違えてきたから幸せになれなかった。

 

でも正解はわからない。どうすればよかったんだ?(ここで、「あなたは悪くないよ」って言ってくれ笑 これは資本主義が悪いのか??)

 

 

間違ってたことに気付いただけで一歩前進とかいうバカがいるだろうが、これは悲劇である。なぜなら気付いたせいでいま私は途方に暮れている

 

気づかない方が幸せなことも、醒めない方が良い夢もある。

 

 

いきなり話が変わるが、最近長時間ぐっすり寝られない。

寝つきはするが2時間間隔くらいで目が覚める。一応毎回トイレには行くが尿意で目覚めてるわけでもない。食事ルールを変えてから、つまり空腹で寝るようになってからだと記憶しているが、これも医学的にみれば薬(をやめた)のせいなのか??

 

 

 

なんか最近書き振りが変わってきた。なんでだろう。

 

わかった、内容が赤裸々になった分、文体でカッコつけようとしてるんだ!

ダッセェこの男、ほんと冗談キツいよ。そら誰も話しかけないわ笑

 

 

心込めて

「嫌いになりたくない」の真意

(この記事は予約投稿です)

とりあえず現況報告

 

体重55.2kg(夜20時以降食べないルールによって、夕方からの塾バイトのせいで晩御飯をほぼ食べられず減って欲しくないタイミングで減る。特に筋肉が落ちてるかも)

体脂肪率17.6%(だからここがなかなか落ちない…)

 

鶏胸肉とブロッコリーを買い込みました。ここからほぼ毎日しっかりカロリー計算PFCバランスチェックしながらガチでやっていきます。

あと、プレ勝手に減量した悪影響は特にない気がします

 

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ブラピが登場したら何かの合図、みたいなカッコいいブログは一生書けなさそう

 

 

塾にバイトとして入ろうか検討していたが俺が止めた元生徒に対して思っていたことがある、それは「その子のことを私が嫌いになりたくない」ということだ。私は同僚がほぼ全員嫌いである。

私は最近、教務以外で指示を受けたり飛ばしたり進捗を確認したりさせられているのだが(本当にクソみたいな業務で、完全に指導に支障が出ている)、同僚バイトのカス加減にほとほと愛想が尽きている。

全15人のうち、完全に信頼できるのは2人、まあ良さそうなのは4人、それ以外ゴミである。

 

どうゴミか一例を紹介しよう。

日程調整→メインミーティング→サブミーティングというフローを定期的に繰り返す業務があった。メインミーティングの時期や内容はあらかじめ決めていた。

にも関わらず、全く日程調整が行われないばかりか一度メインミーティングを飛ばした時があった。当然叱った。

そいつは「スケジューリングが甘かった」と言っていた。元々業務を忘れがち、礼儀なし、キャパの低いやつだったのであまり期待していなかったが、ここ最近驚愕の事実が判明する。

 

なんと、スケジュール帳やそれに類するアプリを全く使っていなかったのである。もちろん部屋に卓上カレンダーを置くこともなく、ましてやそれに書き込むことなどない。メモ帳アプリなどで代替しているわけでもないのだ。

 

それで何度も指摘されても、改善策を打てなかったこいつは新大学3回生になる。

 

企業の採用担当の方々、プライバシーに触れない程度に新卒者のスケジュール帳の使い方を一瞥することをおすすめする。そいつはこの春から使い出すらしい。

 

「坊ちゃん、社会に出たらそんな子いっぱい入ってくるよ」とどうか諭さないでほしい。私は、そんな奴が生徒の学習計画や指導スケジュールを管理していた(つもりだった)ことに苛立ちを隠せないのである。それで「学校の課題はちゃんとやりや」とかほざいてたなら抱腹絶倒、怒髪天を衝き私の髪が塾の蛍光灯を全て割っていただろう

 

これは極端な例だが、一緒に働くと「はぁ?」という一面が見えて、それが受け入れ難いものだと私は完全に嫌いになる

 

しかし、最近こねこね考えて気づいた。

私は「嫌いになりたくない」のではない、叱って「嫌われたくない」だけなのだ。

今まで自分にいろんな言い訳をして、婉曲的な言い回しで注意したり、叱ったりしてきた。「この表現でも伝わるだろう、だって大人だもん」と。

でも結局のところ嫌われたくないだけの自分がいた。そんなに自分が可愛いのか、と落胆して先週から普通に叱るようになった。

 

俺は元から嫌われてるというか恐れられていた。それを後輩たちは「畏れ多い」とか「尊敬」とかいう言葉でカモフラージュしていたが、単に私が話しにくい雰囲気を作り出していただけだった(時間ギリギリに出社、休み時間も授業準備に徹底し雑談はしてこなかった。それと、私は昔から初めての環境に行くとATフィールドを張ってしまうきらいがある)

 

もう嫌われても同じことだから、これからは普通に注意するようにする。叱っても良くはならない(改善策を示しても打ってくれないからだ)、それでも4年も我慢した。もういい。

 

 

心込めて